きねぶろぐ

日々感じたことをまとめていきます。

要請と強制の違い

最近のコロナ情勢

最近、外出するのを自粛しないといけない難しい状況が続いていましたが、

仕事や生活によっては、外出する判断を個人する必要が出てきていると思います。

 

特に仕事に関しては、自分は外出したくないのに、

会社や関連会社のために、外出させられるということは往々にしてあるかと。

 

最終的には誰が判断するのか

上記の例だと、自分での判断は難しそうです。

仮に自分が外出しないと言い張っても、

代わりに誰かが出社させられることになる。。。

(どこからか強制されたも、自分で判断して動くということは 

 

となると、上司?会社?自治体?国?

ここが、部署、会社、地域、国それぞれで曖昧で、

たぶんそれぞれで決めてくださいという形になっています。

 

こういったグレーゾーン(自分の知らない領域)には、人はなかなか立ち入りたくなくて、

さらに、判断に伴う責任は自分でとるのを避けたがる。

特に人命が関わっている場面では。

 

  • 人に判断してもらい、自分の責任を逃れる

自分が責任を逃れるためには、人に責任をわたす。

ただ、自分と同じ立場の人に責任をわたしても、戻されてしまう、

だから、自分より立場が上の人に責任を渡して、自分に戻ってこないようにする。

 

  • 自分で判断(考える)を放棄して、楽になりたい

人に言われたことだけ行動しておけば、考えなくてもいいし、

何かあっても自分に責任が問われることはない。

 

おそらく、こういう心情から国に責任をわたして、「外出禁止令」みたいなものを出してもらうように要望している人たちが多くいた。

 

だけど、国からは外出自粛の”要請”

よく考えてみると、そんな国から強制力のあるものが発令されたら、

今後「ライブ禁止令」みたいなものが出たときに、

国民は黙ってライブを中止しなくちゃいけなくなります。

 

まるで戦時中の日本みたいですね。

それがいけないよねってことで、変わったのに。

 

要請ということは、判断するのは国民に委ねられているということ

自粛要請を受けて、休業する会社もあれば、業務を継続する会社(せざるを得ない会社)が出てきました。

この分かれ目は、それぞれの会社の状況にもよると思いますし、国が一律に禁止したり、個別に禁止を指定するということは不可能なので、それぞれの会社の判断と責任に任せたという形になります。

おそらく”強制”してほしいと声を発している人は、❶自分の会社は休業しているのに、なぜ他の会社は自粛しないのか、❷自分は外出したくないのに、会社が許してくれないから、強制的にしてほしいの2パターンに人がいるように思えます。

 

❶は自分の首を絞めているだけなので、無視していればよくて、

❷に関しては、やはり自分で判断して行動するしか方法はないなと思います。

(自分も❷に近い状態があり、自分の無力さを知りました)

 

人に責任を渡す時の注意

自分力がない人は、今回のような判断の責任を会社や上司に渡している状態にあります。

その場合、今回の出社問題以外にも、他の部分で責任を渡していることにもなります。

今回の問題だけ責任を渡すというのは、虫が良い話。

 

なので、人に責任を渡すときは、自分の他の行動も制限されてしまう、というリスクを把握しておいたほうがいい。

 

もし3年後とかに情勢が落ち着いたときにも、一生在宅で仕事をしろという指令が出たらそれに従うしかない。(まさにサラリーマンの定め)

 

自分で判断、責任を持つマインドは持っておいたほうがいい

今回の騒動で、人の内面がよく見えてしまったなぁと。。。

「何でもかんでも上司に判断をもらう人」

⇨上司もこんな状況想像もしなかったのだから、一緒に考える姿勢のほうがいい気がしました。