映画とビデオサービスの違い
最近映画館が再開したらしい
映画館が再開するニュースが流れていましたが、
この期間中は家で映画を見ることが多くありました。
AmazonPrimeで映画を見ていたのですが、
映画館で上映予定だったものを配信に切り替えるところもあるとのこと。
個人的にはやはり映画館で映画を見たいと思い、
自宅でビデオサービスを見ているときに気になったことを書こうと思います。
残り時間がわかる
家で映画を見ていたときに、残り時間を不意に確認してしまいました。
特に退屈というわけではなかったのですが、このあとの展開がどうなるか、
気になって、ついついリモコンに手が伸びてしまいました。
これって映画館にいるときに、確認しようとしたら、
前もって映画の時間を確認(後ろの映画の上映時間を見れば大体の差がわかるし、映画サイトに時間が載っている)すれば、
上映中に時計をチェックして、残り時間を予想することができます。
だいたい上映開始後はCMで15分ぐらい取られるので、そうの分も考慮して。。。(余談です)
残り時間がわかることで心に余裕ができる
途中で残り時間を見てしまった時の心情を考えてみました。
特に後ろに予定があったというわけでも、トイレに行きたかったわけでもなく、
「自分はあとこれをどれくらい見ることになるのか。」というを知りたかったのかもしれません。
もしかしたら、退屈の表れだったかもしれません。
でも、これって今どの動画配信サービスでもついている機能で、
経過中の時間位加えて、ちゃんと「残り時間」として時間を表示させているものもあります。
残り時間が表示されないサービスは何があるか
・映画
・テレビ
・ラジオ
どれも昔ながらのメディアで、これらに共通していることって、
「早送り」、「巻き戻し」、「一時停止」とかユーザー側で、再生の流れを操作できないものでした。
たしかに再生の流れを操作できないものに、「残り時間」を表示させる意味はないと思われそうですが、
「残り時間」以外の部分でも、何かユーザーに意味を与えているように思えています。
終わりが見えないことで楽しみは増えるか
映画では、「もうこれでハッピーエンドだな」と思っていても、そのあとの展開で裏切られたり、
「この先がきになるのに、もう終わり?」と鑑賞者の想像にあとはおまかせという経験がある方はいらっしゃると思います。
これって、残り時間が表示されていないことにより得られる、エンターテイメントの効果ですよね。
残り時間が表示されていたら、鑑賞者は「やっぱりね」と自分の予想通りで終わってしまう。
人を楽しめせるときは、「期待を裏切る」というのが需要なポイントだと思うので、
この視点で「残り時間がわからないこと」を活用している例だと思います。
ただし、残り時間が見えることで得られるエンターテイメントの効果もあると思うので、
終わりがわかる/わからないで、エンターテイメントが劣化するということはなさそうです。
終わりが見えないことで人は不安になる
ただ、終わりが見えないということは人を不安にさせることがあります。
これは今回のコロナ騒動がそうなのですが、
自粛期間はいつ終わるのか、誰もわからない状態で、不安になった方が多くいたと思います。
不安な状態を解消したくて、いろいろな情報を探して、正解や本当のことを書いてあるものなんて存在しないから、
さらに不安になっていく。よくない流れです。行動しているのに何も前進した気がしないというのは、人のやる気を削いでしまいます。
そんな正解が見つからないのに、なぜ人はそういった情報を探してしまうかって、
人の性質上、不安な状態を抜け出そうと行動するように作られているのではと思います。
そういった性質に従って、僕も残り時間を確認してしまったのかと。。。
終わりの見えない不安な状態を楽しむ
なので、今後どうやって過ごしたほうが楽になるかなと考えてみたところ、
映画と同じように、この終わりの見えない状態をエンターテイメントと捉えて、
楽しんで過ごしてみるのがいいかなという結論になりました。
終わりのない時間の中にある不安を受け入れて、
予期せぬ展開があることを信じてその機会を待つ。
いってしまえば自分の命の終わりも見えていない状態で、
それが普通と思って20数年生活できているので、今回のことも受け入れることはできるはずです。